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1.正龍寺(しょうりゅうじ)仁王像
慶長元(1596)年に近世儒学の祖とされる藤原惺窩(せいか)は、この寺を訪れ薩南学派の祖である桂庵玄樹などが研究した和訓に関する書物を写し取っています。このように山川港を代表する寺院でしたが、明治2(1869)年の廃仏毀釈によって廃寺となりました。現在は浄土真宗本願寺派の寺として創立されていますが、当時を偲ばせる正面の仁王像と境内の板碑があります。この仁王像は、旧正龍寺の正面に建っていた物で、廃仏毀釈での難を逃れて無傷のままの貴重な像です。
2.地頭仮屋跡(じとうかりやあと)
江戸時代、薩摩藩の直轄領であった山川郷には地頭仮屋が設置され、(あつかい)・横目・組頭といった三役によって政治が行われていました。現在は支所の東側と西側に、当時を偲ばせる石垣が残っていて、これらは山川の象徴でもある山川石によって形成されています。
3.山川薬園跡(やまがわやくえんあと)
万治2(1659)年、藩によって薬草研究のための薬園が開設されました。その後に、対岸の佐多や鹿児島城下に近い吉野にも薬園が設置されましたが、その始まりでもあります。当時薬園では、リュウガンやレイシ、ハズ、キコクなどが栽培され、現在はリュウガンのみが残されています。また敷地は明治以降から昭和44年まで山川小学校として利用されていました。
4.熊野神社(くまのじんじゃ)
御祭神は速玉之男神などで、創建年代は不明とされています。島津氏による崇拝が篤く、文明4年、大永2年、天明7年などの時期に再興されています。また慶長14(1609)年の琉球出兵に際しては、島津家久によって戦勝祈願祭りが執り行なわれています。昭和55年までは境内の入り口に大きなトンネル状のアコウの木がありました。
5.恵比須神社(えびすじんじゃ)
漁業の神様「えびす様」をまつり、大漁と航海の安全を祈願する神社です。「えびす様」は海の幸をもたらす「寄り神」として漁業関係者の信仰を集めています。右肩に釣竿、左小脇に鯛を抱えて座した姿で描かれ、商売繁盛、交易、漁業の神様として知られていて、そのお顔は「エビス顔」と云われるように笑顔をたたえたご尊顔です。
かつお節の天日干し
本枯れ節の場合、カビつけ→天日干しを数回繰り返し、乾燥し熟成されて行きます。完成までに六ヶ月くらいかかります。本枯れ節製造が盛んな山川では、天日干しをあちこちで見ることができます。
かつおの腹皮
腹皮は鰹節をつくるときに不要な分として切り取られる、いわゆる鰹のトロの部分です。脂が乗り、焼いてよし天ぷらにしてよし、新鮮なら刺身でも最高の味です。おかずやだいやめ(晩酌)のお友として珍重されます。山川港周辺では腹皮の天日干を至る所で見ることができます。
6.かつお節製造工場
山川港は鰹節の一大産地で多くの鰹節工場があります。鰹節は加工工程により茹でて干しただけの「なまり節」それを薫製にした「荒節」、さらにカビ付けをして乾燥・熟成をすすめた「枯節」「本枯節」があります。山川では、この最高級品である本枯れ節の生産で有名です。
7.番所鼻(ばんどころばな)
山川湾に突き出た番所鼻には、灯台があり港の交通の要としての役割を担っています。大正12(1923)年11月8日の夜中に突然、この砂州が陥没する事件が発生し、地域の人々を驚かしました。
8.レンガ造りのかつお節乾燥場
現在は一棟だけになったが、港周辺には多くのレンガ造りのかつお節乾燥場がありました。正確な建造年は不明ですが、昭和10年ごろにはあったということです。山川のかつお節製造は明治43年(1910)年、伊予(愛媛県)から製法の指導をうけて始まりました。
9.鶴の目
昔、まだ水道がなかった時代、ここに雨水を溜める溜め池がありました。直径9メートルの円形で、地表から40センチ余りの山川石を組み合わせて出来た立派な「水がめ状の物」でした。炊事には使えませんが、物を洗ったり洗濯などに使われていたと思われています。
対岸の五人番の高台から眺めると「鶴の目」のように日光を反射し色々な色彩に変わるので、いつしか、鶴の港の鶴の目と呼ばれるようになったとの事です。
今はその跡地に地元の有志が小さな社を建て、その隣には直径1メートルほどの模型の池があります。
残念ながら写真が残っていません。当時の写真のある方はご連絡下さい。